【総集編】語学嫌い、中高年を海外で確実に戦力化するための「使える英語、話す外国語」習得術 - パラカロ流実践多言語習得術
【総集編】語学嫌い、中高年を海外で確実に戦力化するための「使える英語、話す外国語」習得術
この連載もおかげさまで一周年を迎えました。毎週日曜日更新でお届けしておりますが、東日本を襲った未曾有の大震災、福島原発の事故、海外でもタイの大洪水など日本国内の製造業をめぐる事業環境も大きく変わってきたことを日々実感しています。
東日本大震災で揺らいだ日本企業は国内インフラへの不安から海外へのシフトを一層加速するという流れが出てきています。またタイにおける災害によって日本企業が今後出ていく先でも安心してはいられないということへの気付きを与えました。日本企業が進出している国々の現場、工場などの最前線では混迷の様相を深めてきています。
洪水の問題ひとつをとってみても、タイという一国の問題では終わりません。グローバル化する製造業をめぐる事業環境を俯瞰するとタイで起こった大洪水の影響は日本国内だけでなく、中国、韓国、台湾、インドネシア、ベトナム、フィリピン…、東アジア全体の製造業にもあらわれています。
文字通り激動の2011年でした。
そんななか海外移転を進める日本の製造業にお勤めの皆さんに企業語学研修を通じ、海外の工場や事務所、つまり現場=最前線で即戦力として役立つ人材を送り出してきたかを改めてお話しすることにしましょう。50歳を過ぎてからの海外転勤、海外渡航経験無しでの単身赴任、外国語を学ぶのは35年ぶりなど、そんな中高年の試練や筋金入りの語学嫌い企業戦士たちの戦力化をどうやって支えてきたか?
もちろん、魔法を使うわけではありません。パラカロ・メソッドの基本、それはシンプルに、いまから申し上げる三つの考え方です。まずは英語を話すために必要な三つのルールからご紹介してまいります。
1.話すという目標を、ぐっと下げて、しかも明確に目標を設定する。
英語嫌いでなくても、文法や語法の正確さを追い求めるあまり、間違いを恐れ、萎縮し、マイナス思考に陥りやすいものです。まずは額や脇の下にびっしょり汗をかきながらでもいいから、自分の言いたいことを何とか伝えられるレベルを目指します。今日から正確さや流暢に話す理想の自分をイメージすることに「さよなら」を言いましょう。
語学研修の現場では、愛すべき英語嫌いの皆さん、それぞれのレベルに応じて、より明確に、実際に話しているイメージ(姿)を描いて差し上げます。ここが、私たちにとって最も気を配り、注力する点です。
何しろ海外の事業所や工場の現場ではとりあえず仕事は回っているのですから、無理やり背伸びする必要はありません。できた分だけ、伝えられた分だけ、その日の喜びとする。
単語10個覚えたらそれでよしとする。中には、「10個覚えたら、次の日は9個忘れるよー」と言ってくる人もいました。でも、次の日、また10個覚えればいいのです。あきらめなければ大丈夫と自分を許す。
2.話すために必要な最低限のルールは何かを洗い出す。
昔、学校のテストで苦労して、複数の"s"とか、"a"や"the"をいつ使うとか、いわゆる冠詞の使い分けに気を配っていたことは、全て無視。私たちパラカロでは上記1.で述べた受講生の皆さん、それぞれのレベルに合った目標に到達するための最低限必要な文法が何で、不必要な文法が何かを精選しています。これも私たちが教えるときに留意する点です。意味の通じる文を作るためのルールであれば、巷で売っているあの読みにくい文法の本の五分の一で大丈夫。しかも、間違っていても、減点なし。口に出して英語を話した分だけ、得点とする。こんな考え方を身につけることからスタートします。
3.限られた時間の中で、話すための練習時間を最大化して、徹底して練習する。
これまで、テストで1点でも多く取ろうと重箱の隅をつつくような文法を覚えるために使ってきたエネルギーを、ひたすら「話す」ということに向ける。これまで、受験勉強や資格試験用の勉強を通し、知識として得ていたことも、実際の場面ではほとんど使えないことを知ることになるでしょう。
「ここまで出て来ているんだけれども、口から出てこない」という言い訳は、無意味だということを納得する。わかっているけどできないのは、ゴルフのヘッドアップやスライス癖、もっと簡単な例で言えば、早口言葉を噛まずに話す訓練と同じことなのです。
集中と反復練習、上手くいかないのは単純に練習が足りないだけ。ここは実際に練習をする方々の努力(=反復練習の量)にかかっています。一方、質の高い正しい練習の仕方と練習のためのツールを作り提供する、これは教える立場の人間が最も努力すべきところです。
英語を話せるようになるために必要なルールはこの三つです。しかし実際、こんな突拍子もない方針で英語ができるようになって、実際に海外で活躍している人たちが大勢います。
大文字と小文字の区別がつかなかった山之内さん
まず英語に関しては、「ズブの素人」が、どうやって英語を話せるようになっていったかというケースをご紹介します。
主人公は、山之内さん。山之内さんの勤務する会社では、いまでも語り草になっている、私たちパラカロが協力した研修から話は始まります。
その研修は、当時としては異例の半年間離職しての受講という、徹底したものでした。研修の内容は、周辺領域の技術研修と、私がデザインした異文化研修、それに語学研修という三本柱で構成されたものでした。
山之内さんは、この研修の何期目かに来た人です。最初のクラスでは自分の名前をローマ字で書いてもらいました。綴りが正しくない……のはありだと思っていたのですが、ご自身の名前をローマ字で書いてみるとそのなかに大文字と小文字が入り混じっています。綴り云々の前に、ローマ字を知らないのです。
同じクラスに大学卒の岩城氏がいました。すでに英語の文法は上級の域にある人でしたが、職位が同じということで机を並べていたのです。「企業研修、恐るべし!」です。会社の論理優先で、少々のことは語学研修を受け持った業者がうまく丸めて結果を出さなければなりません。
ところが、「少々のこと」というのは常にお客様=クライアントの基準であり、語学研修という仕事を受託した私たちにとっては、いくら何でも「それはご無理というものでございます」というケースがほとんどです。上意下達とでも申しましょうか、この論理は会社内でも貫かれています。当然山之内氏も、「え、英語! それは無理というものでございます」という叫びを胸のうちに秘めて参加してきていることが私たちにも痛いほど分かりました。
山之内氏の唯一の武器は、底抜けな笑顔と、こちらが言ったとおりに繰り返すことだけでした。別の言い方をすれば、それしか出来なかったということです。
最初の3週間は集中研修といって、毎日、午前中4時間、英語のイロハをやっていきます。説明を1、2時間やった後、こちらの渡した独学教材を使って、実際に声を出して練習します。ここで、独学の仕方をきっちり学ぶのです。窓際で、ひたすら声を出して練習していた山之内さんの姿が記憶に残っています。
半年のうちの中間点では1週間の合宿が行われます。英語漬けの研修ですが、竹刀でたたいたりするようなことはありません。それでも、中にはとにかく英語が嫌いで、夜中に脱走して家に帰って、次の朝チャッカリと出てくるような人もいます。
その中で山之内さんは、明るさだけは絶やさずに、言われたことだけはちゃんとやっていました。たまに自分が習い覚えた単純な文をギャグのように、あるいはオームのように言って周りの笑いを取っていたように記憶しています。
ところが研修も後半戦に入り始めた頃、彼の言うギャグのような文が2つ、3つとつながり始めたのです。周りの仲間や、はるかに先を行っていた岩城氏が、何故山之内氏が急に浮上してきたのかを不思議そうに注目をしだしたのもこの頃のことです。というのも、岩城氏の英語の伸びはいまいちで、最初の頃と比較してあまり変化が見られなかったからです。きっと、ご自身そのことに気づいていたのでしょう。
最後の合宿は5ヶ月目の半ばに行われました。ここでは1日の終わりは、英語だけでの反省会です。いくら虎の巻が準備されているとはいえ、誰だって反省会を仕切る役であるチェアマンにはなりたくない。せめてもの配慮にと私は山之内さんのチェアマンの順番を最後にしたのでした。
そしていよいよその日がやってきました。山之内さんは、チェアマンの席に座り、突然大きな声で、ただし、あきれるほど単純な文をつなげて、チェアマン役を誰よりも器用にこなしたのでした。
山之内氏がやったことはなんだったのでしょう。
事実1 素直に英語を口から出して練習し続けた。
事実2 受験英語の複雑な文法に足を絡めとられなかった。
それに対して、大学卒の岩城氏は自分の豊富な文法の知識で、自分の英語をチェックしまくり、口から出す機会が極端に少なくなっていたのでした。黙読中心の学習スタイルになっていました。
事実3 生来の明るい性格で、間違いを全く気にしなかった。
自分の英語を他の人と比べたりして恥ずかしいと思わなかったようです。恥ずかしいと感じたり、間違えたらどうしようと考えたりするほど英文法を知らなかったことも幸いでした。
このことから、
教訓1 英語を話すために必要な文法は、厳選されたごくごく一部の文法を理解すれば意思疎通は十分可能。
ということが解ります。
さて、皆さんも、少し気が楽になってきたのではないでしょうか。次は山之内さんの上を行く、板倉さんのお話です。
「a・an・the」の使い方がわからなくても成功した板倉氏
「…で、向こうじゃイタリア語ですか?」と私。
「チョットはですね。困ったときは英語にしますよ。」と板倉さん。
いまでは、すっかりベテランの風格が漂うイタリア駐在の板倉さんですが、最初に英語を教えたとき、あまりにも初歩的な質問をぶつけてきたことが強く印象に残っています。
「a・an・the の使い分けが…いまいち良く分からないんですが……」
私は少々乱暴ではありますが、こんなふうに答えました。
「a・an・the」をなくした文と、逆に「a・an・the」 だけしっかり残って、他が欠けた文を比べてみてください。「a・an・the」を全く言わなくても、いちおう意味はわかるでしょう。
そのまま、外国人に話したとしても、意味はわかるんです。でも「a・an・the」だけだったら、何回繰り返して言っても相手に意味は伝わらない。そんなのなくても意味は通じるということをしっかり覚えてください。
そのときのことを思い出しながら、板倉さんは、こう言います。
機器の種類は、写真撮影を行うために必要とされる
「イヤー、あのときの言葉は忘れませんよ。吹っ切れたような気がしてね。いまも、後輩には同じことを言ってやるんです。イタリア語なんかもっと複雑っぽいけど、構いやしません。それで、お前間違ってるよって注意してきた外人なんて一人もいませんでしたね。結局のところ……イタリア人と英語で話すんですよ。向こうだって間違いだらけですよ」。
板倉氏も外国人と現地でコミュニケーションをすることの本当の意味が分かったようです。
「……それで、工場からベネチアまで日帰りでいけるんですよ。もちろん南にいけばギリシャ行きのフェリーが出ていて...こないだもカミさんとミケーネに行って……」話はワインから、オリーブ、ギリシアから、トルコへと果てしなく続きました。所詮、「a・an・the」とはそういう位置づけなんだよねと、自分でも改めて納得したものでした。
ここで板倉氏が学んだことはなんだったのでしょう。基本的には前回の、
教訓1 英語を話すために必要な文法は、厳選されたごくごく一部の文法を理解すれば意思疎通は十分可能。
と同じです。しかし、もう少し詳しく見てみると、板倉さんの場合、
- 「言いたいこと」の意味を伝えることに集中する。文の間違いをいちいち気にせず、英会話の学習に取り組んだ。
- 海外旅行に出掛け、外国人と積極的に交わり、英語を道具として使いこなすことを体験的に学んだ。
- 文法や構文の正確さ、細部にこだわらず「相手も英語という外国語を話しているのだから」ということに気づいた。
- 自分と相手のエラーを受け入れるこころのゆとりを持っていた。「間違っても構わない、とりあえず伝えたいことが伝わればいい」
- これらの考え方、感覚をテコに、イタリア語も同時に学ぶ動機につなげていった。
というようにして、仕事で使える英語を獲得していったのでした。
「s」と「es」、複数形のルールがわからなかった迫元さん
今でこそ、マレーシアで管理職として大活躍する迫元さんですが、語学研修が始まった頃は、複数の「s」と「es」の発音の規則がわからず相談に来ていた、文字通り英語初心者でした。
迫元さんの出身は、とある工業高校。
「私たちが高校生の頃は,そりゃあいい加減なもんで、"お前らどうせ英語なんか、できやしないんだから後ろで寝とけ"って言われて、それで、喜んで寝てましたもん...」
という話にたがわず、英語に関する限り、見事に何も知らない人でした。
ある日、迫元さんが「先生なんかいろいろ種類があるみたいだけど……」と、恨めしそうな顔で相談に来ました。
具体的な相談の内容はというと、複数形「s」と「es」をどう発音すればよいか?というものでした。「こんな面倒な決まりごとをひょっとして覚えろって言うことですか?」という思いが、迫元さんを、恨めしそうな顔にさせていたのでしょう。
私は「ルールを教えるのは簡単だけど、教えたらやる気をなくすな」と直感しました。これまで社会人向け語学教育を数多く重ねてきた経験から、この人もまた「英語に背を向けている族(=英語嫌い)」の一人だと確信していたからです。
私は迫元さんに、こう言いました。
「二つ、方法を紹介します。どちらを選んでも、かまいません」
一つめの方法は、複数なんか気にしない。ルールは一切覚えないで、単語の後ろ(=語尾)に付ける音も一切変えないで使っていく方法です。しかしそのとき、こう付け加えました。「いまいまは簡単です。でもそれではあなたの英語は、将来的には、かなり雑なものになります」
二つめの方法は、複数になったら、とりあえず、「s」という音をくっつけておく。後から、それを少しずつ修正します。「いまは頭の中で単数と複数の切り替えに慣れていくことだけに集中してください。それだと、少しは気もラクになると思いますし、後の伸びもいいですよ」
将来性のことを言われて、迫元さんはその時、二つめの方法を選びました。なんとか、企業研修のカリキュラムを終えた迫元さんは、インドネシアに駐在したと聞きました。そこでは、毎夜毎夜「夜間大学」へ通ってめでたく卒業したと嘯きます(笑)。「夜間大学」というのは、駐在サラリーマンが現地の飲み屋街に夜な夜な通いつめて、店のホステス相手に現地の言葉を習得することです。
かの地で身につけたインドネシア語は、複数形がありません。迫元さんは、この度、新たにマレーシアへと赴任することとなったのですが、そのマレーシア語も、インドネシア語とほとんど同じです。「英語に比べりゃ、簡単ですよ」と、ニヤッと笑って部下たちの前で語る迫元さんを見つめる部下たちの眼には、「ビッグ・ボス」への尊敬の念がこもっています。
ここでもまた、前回と同様の教訓が生きています。
教訓1 英語を話すために必要な文法は、厳選されたごくごく一部の文法を理解すれば意思疎通は十分可能。
さらに迫元さんのケースを詳しく見てみると、大切なことがわかります。
- どんなに基本的なことでも、相談してみる。
- 人のアドバイスに対して素直に耳を傾け、複数と単数は学んでおいた方がよさそうだと判断したこと。
- 面倒くさそうに思えても、必要と思われることは、自分のできる範囲で折り合いをつけてやってみる努力をする。
皆さんは、「そんなのは、当たり前のことでは」と思われるかもしれません。でも、実際のところ、英語が話せない人は、そんな当たり前のことや基礎の段階で止まってしまっているのです。
英語の複数と単数の考え方は、冠詞の考え方のように簡単にはいきません。結局は「s」と「es」の付け方と、その発音のルールがポイントということになるのですが、話すということだけに限れば、発音さえ気にかけておけばいいのです。ここでの迫元氏のように「とりあえず、"ズ"という音をくっつけておく」という対応でもいいのです。
また、このルールはそっくり動詞の三人称単数現在の「s」「es」と全く同じものとして適用できます。動詞の場合はさらに決定的な意味がありますから、避けては通れないルール=英文法です。でも、それをすべて正確に理解することは、実際のところ、かなりたいへんな作業です。
ですから、もう一つ、大切な教訓が必要なのです。それは、
教訓2 たどたどしい英語で十分。話しながら、文法を学んで改善していく
いかがでしょう?
皆さんも、「それぐらいはできるよ」という気になったのではないでしょうか?
そうです。それこそが、決定的な、最初のステップなのです!
英単語を整理してハードルを越えた中村さん
今年52歳で、工場長として赴任する中村さんを初めて教えたのは、もうずいぶん前のことです。当時はまだ若く、やる気にあふれていました。世の中に広まり始めたばかりのパソコンを研修室に持ち込んで、表計算ソフト、エクセルを使っている姿を思い出します。
見ると、Excelで英単語の一覧表を作っていました。「頑張ってるな...うん?」私はその瞬間、Excelで作った表の中の単語がほとんど名詞だということに気がつきました。中村さんは、ひたすら英単語を覚えようとしていました。そして、どうやら中村さんの頭には、名詞しかないということが解ったのです。
そこで、まず、
教訓1 英語を話すために必要な文法は、厳選されたごくごく一部の文法を理解すれば十分。
教訓2 頭の中に「名詞−形容詞」「動詞−副詞」を入れるための四つの整理箱を作る。
という二つのことを教えました。
「あの時、英単語は名詞とか動詞とか形容詞とか、品詞というものに分類されるということは知ってはいたんですよ。でもね、名詞を100個覚えるぐらいだったら、動詞50、名詞50覚えた方がナンボかましとか、名詞と形容詞が仲がいいとか、実際、考えてもみなかったな。自分が名詞ばかり覚えようとしていたなんてね。自分じゃ気が付かないよね。夢中になってやっていたエクセルを使ったコンピューター学習をすぐやめましたよ。そのあとは、先生の言いなりでしたね。そっちの方が速いもん。合宿も面白かったなあ、きつかったけど……でも正直に言うと、きつかったのは二日酔いだったからで(苦笑)」
とは、当時を振り返っての、中村さんの言葉です。
社会人になってからの英語学習では、どうしても恥ずかしさが先に出てしまいます。その証拠に、合宿中の夜にお酒を飲むと、そのあと確実に学習成果=英会話のレベルが上がります。英語が話せないと一人で悶々としていた悩みを解決する「場」が「飲みニケーション」にあります。
お酒が入ることで、心が楽になるのでしょう。羞恥心や心に引っ掛かっていたことを吐き出すには「飲みニケーション」は打ってつけの場所です。十人十色、皆さんいろいろなことで悩んでいます。
- こんなんじゃ、上司の面目立たないなぁ(溜め息)
- 若いのにって言われてもなぁ、ちっとも成果が出ないなぁ、やる気無くすよぉ。
- こんな初歩的な質問したら、取るに足らないことと馬鹿にされるんじゃないか?
- また上手く答えられなかったらどうしよう。恥を掻きたくないなぁ。
そんな悩みがいかに多いことか。企業語学研修の現場でそんな事例を数限りなく見てきました。
しかし心理的な障壁を取り払うには、同じ目的を共有する周囲の人と腹を割って話すことによって、心が楽になること、これはとても大切なことです。言い尽くされていることかもしれませんが、羞恥心や、変なプライドが学習成果の向上、進歩の邪魔をしていることを証明しています。
ここで中村氏が学んだこと(=考え方)を整理してみましょう。
- 受験時代に学んだ知識を今一度正確に身につけようと頑張ることを止めた。
- 英語を自然に話すスピードに対応するための知識を学ぶことに切り替えた。
- <品詞>を意識して、常に頭の中を整理する習慣を身につける努力を重ねた。
- 短い基本的な文をバカにせず、正しい英文を作ることに集中した。
この話は、英語が嫌いで背を向けている人とは明らかに違います。学生時代にある程度か、それ以上英語の勉強をやっていての話です。目安としては実用英語検定2級、準2級、3級レベルの方に多く見受けられます。その時に学んだ経験、知識にがんじがらめにされて、かえって身動きできなくなっているタイプの人のケースなのです。
「奥さんは、一人称」の飯田さん
極めつけの人のお話をしましょう。
飯田さんは「自分の奥さんは一人称」と言い切る人でした。
その言葉が出たのは、私が語学研修で、こうレクチャーしたときのことです。
「……ということで、話す人が"一人称"、聞き手が"二人称"、それ以外はこの机も、このコーヒーカップも、そちらの犬のポチもみんな"三人称"に分けているんですよ」
というと、飯田さんは、
「ふーん、そうやったんか」
と、理解してくれたようです。本当に理解したかどうか確認するため、私は飯田さんに、いくつか質問をしました。以下は、その顛末です。
最高の小さなインキュベーターは、鳥は何です
私:「じゃあこのペンは?」
飯田さん:「そりゃあ三人称やろ」
私:「そうです。いま話してる、この私は?」
飯田さん:「引っかからんよ。一人称。」
私:「いいじゃないですか。じゃあ、飯田さんの奥さんは?」
飯田さん:「あれなぁ、あれは、そやな。一人称」
私:「???なんで?」
飯田さん:「そりゃわしのもんやからなぁ、英語?そんなもんあかん、あかん」
顔の前で手を振る独特のやり方で、人生に降りかかってきた危機を、これまで何とかすり抜けてきた飯田さんですが、ある日上司に呼ばれます。
上司:「お前な、インド行かんか?」
飯田さん:「インド? 出張か?」
駐在の話に発展しないように飯田さんは予防線を張ります。周りがどんどんインドに行っているのは知っていました。
飯田さん「ひょっとして、後ろの方に"ネシア"ってついてない?」
上司「...ない! インドだけや!」
非情な返事が返ってきました。
「あかんな」飯田さんは心の中でこういうと、現実を受け入れる準備をすることになります。そして数日後、仕方なく足は私のところへ向かうこととなりました。冒頭の会話はその時のものです。
飯田さんは50歳を過ぎるまで、ひたすら語学だけは無難に回避してきたといっていいでしょう。私たちのお客様には、英語が好きな人は一人もいない.といっても大きく間違ってはいないでしょう。製造業の現場を支えている人の多くは、そうです。そして、そんな人たちが世界中で、日本の製造業を支えているのです。
私は研修をしながら、ためしにやってみてくださいと、その当時パラカロで開発した独学用のCDを渡しました。CDにはこれまでのエピソードで扱った説明を一つ一つの練習で着実に身につけることが出来るように工夫した独習用のものです。現在ではインターネットを活用した「e−ラーニング」で独習が可能です。
あまり気乗りしない飯田さんでしたが、あとで聞くと、「ああ、あれな、うちでやってみたん。晩酌の前にナ。まあ、チョットだけやけど…そのうちナ…だんだん毎日晩酌の前にやるようになったン……とうとう晩酌せんでもやるようんなったナ」。私は、飯田さんの頑張りに、嬉しくなったのを覚えています。
やがて研修から3年後、赴任したインドのグルガオンの食堂で会った飯田さんは、すっかり貫禄がついていました。私が「英語は、どうですか?」と尋ねると、飯田さんは、笑いながら、「まあ、何とか……」と答えます。インドで生活して、現場でも何とか英語を仕事で使っているということです。話している途中でかかってきた電話に応対する飯田さんは、こんな感じです。
飯田さん:「あー、飯田やけど...」
相手:「……」
飯田さん:「ノー、ノー。トゥデイ、デリバリー、ディレイや、ほんでな、ユー、コール、SMKナ、OK? アンド、ユー・テル・ハリーアップ、トゥーゼムな。ウィ、マスト、フィニッシュ、トゥデイなんや、ユー・アンダスタン?」
私が、「納品遅れですか?」と尋ねると、「いつものことや。こっちのやつらは、部品運ぶのに業者から直接入れんで、途中に別のアルバイト入れるんや。いまはまだ良くなったけど、前はひどかったよ。現地の事情ちゅうのもあるんで、仕方ないところもあるけどな」
そう言って、飯田さんは、「そうそう、何か飲む?」と尋ねるので、私は「水を…」と答えると、食堂の店員にさっそくリクエストします。
飯田さん:「あのー、エクスキューズミーや。コールドウォーターな。ツーボトルや。ノー・チーティングやで。」
私:「何ですか?ノー・チーティングって。」
飯田さん:「こっちのやつら賢いでぇ。水のボトルな。あれ、封切るやろ。そしたらもう使えんわナァ。で、一度つこうたボトルに水道の水入れるんや。でな、そのままだとばれるんで、キャップのとこな、ここに瞬間接着剤でポツ、ポツ、ポツととめるやろ、そうするとな、あけるときカリッとナ、さも新品のおとがするやろ。…チーティングや。うっかり飲むとひどい目会うで……」
そう言って、ニカッと笑うしぐさが、英語に対して自信をつけたことを示しているようでした。
英語の「音法」に気づいて成功した宮崎さん
宮崎さんは、インドへの駐在の直前に我々の英語コースに参加してきました。彼の学生時代は穏やかでのんびりした田舎暮らし。地元の工業高校を卒業し、製造業の会社に就職。以来35年、外国語や外国人とも縁が無く、恙無く社会人生活を送ってきたと聞きました。
そんな英語に無縁の生活を送ってきた彼が語学研修を受けるということもあって、思うような成果が上がらず悩んでいました。年齢も50歳を過ぎていたこともあり、外国人に対するコンプレックスが強く、なかなか相手の話が聞き取れていません。
私は、困っている宮崎さんに、こんなふうに言いました。
「落ち着いてください。相手は何もあなたを取って食おうというわけではないんですから。ビビッてると、聞こえるモノも聞こえません。相手の話が聞き取れない理由のひとつは、相手のいうことを聞き漏らしたらどうしよう、という恐怖感なんです。それと、実際の英会話では、小さな、あまり意味のない言葉の集まりは、早く、弱く発音されます。ところが、私たちはそこの意味が解らないとだめなんじゃないかと心配しすぎるから、全体が見えなくなります。でも、この部分のパターンは決まっていますから、音を繰り返していって体験の数を増やせばいいんですよ」
もう少し詳しく説明すると、次のようなことになります。
英語の文は規則的な強弱のパターンで話されます。強く発音される部分はそれだけで意味のある言葉の母音です。逆に「a・an・the」や、「of・in・at・on」などの言葉とその前後は弱く、早く話されます。
強く発音される部分は等間隔で話される傾向が強いので、間に挟まった弱い部分は、言葉の数に関わらず同じ時間内に言われなければなりません。そのため、言葉が多いときは弱く、早く話されてしまうのです。
私たちが聞き取れないというのはこの部分です。聞き取れずに、意味が分からなくなると、心理的に余裕がなくなり不安になります。これが増すと、頭が真っ白になるのです。日ごろからこのことに気をつけて聞き取りをすれば、だんだん慣れてきます。
先日、駐在先のデリーにある、宮崎さんの自宅を訪問すると、テレビがあり、その前にノートがありました。見せてもらうと、テレビのニュースや、他の番組を英語でビッシリ筆記してあるのです。私よりはるかに字が上手です。
「あんたに言われてね。もう二年になるよ。確かに、前置詞あたりで早くなるな。これが解ると、安心して聞き逃せる。そう、聞き逃せるんだ。そうすると、今度は、大事な言葉が増えるんだ。どうも、こっちの英語は、使ってる単語がイギリスとも違うな」
卵かけご飯(卵に虫がいるインドでは、日本から持ち込んだ卵で作る卵かけご飯は超ご馳走です)をほおばりながら、これまた日本から送られてきた、三日遅れのローカル新聞に目を通す宮崎さんでした。
ここで宮崎さんから聞いた、英語を話せるようになるためのコツを、こっそりおしえましょう。
- 英語を聞き取るためのポイントを、謙虚に学ぶ。
- 駐在の仕事に加えて、日本からのアテンドなど忙しい最中でも、聞き取る練習だけは欠かせなかった。
- 聞き取りは、ポイントにそって、自分のペースでやっていく。
ひと言にまとめると、以下のようになります。
教訓3 ポイントを押さえた上で、自分のペースで継続的に学習を続ける。
聞いてみると、特別なことではありません。でも、当然なのです。英語は、当たり前のことをきちんとやれば、話せるようになるものなのですから。実際に、現地の従業員を前に話しているところを見ましたが、宮崎さんの話せる語彙が、かなり増えていたのに驚きました。宮崎さんの英語は、ゆっくりした英語でしたが、確実に伝わる英語になっていました。
英語が話せるようになると、グローバルなあなたに出会えるか?
「なぜ、グローバル化するのか?」がわかっていなければ、海外進出は失敗するということを学んだ日本の20年。英語が話せればあなたはグローバルな人材になれるのでしょうか?
答えは、NOです。
これまでの連載で、根っからの英語嫌いの人たちが、何とか英語が話せるようになるまでを実例で紹介してきました。ある人はインドへ、またある人は、イタリアへ赴任して英語を話し、仕事をこなしています。
実際、日本企業が海外進出する場合、昨今では特に英語を母国語として話す人の国以外の国に進出するケースが圧倒的に多いのです。もちろん全てとはいいませんが、BRICSという言葉を聞いたことがある人なら、なるほどなと思うかもしれません。
そこで、今度は一人ひとりの「人間ドラマ」からチョット離れて、企業というレベルで少し話をしましょう。
日本の企業はこの20〜30年間、海外と国内を右往左往してきました。80年代に「グローバル化」の旗印の下、日本企業は一斉に海外に生産の拠点を作りました。円高メリット、人件費などのコスト削減、さまざまな理由も考えられますが、実はグローバル化がなにを意味するかを、あまり深く考えずに海外へと進出して行ったのではないでしょうか?
製造業の海外進出が進んだ1980年代、それを「国際化」という言葉で呼んでいましたが、現場の人たちはまだ必要に迫られてというほど切羽詰まってはいなかったので、多くの日本人にはピンときていませんでした。たぶん、工場や何かが海外に出来るということでしょう……というぐらいの理解しかされていなかったのです。
まず、半導体企業が海外へ出て行っていったと記憶しています。その頃、進出先として、よく名前があがっていたのは、マレーシアです。それに続いて進出していったのは、製造業でした。ところが、半導体企業はじきに戻ってきてしまいました。日本のやり方で、海外で物を作っても、日本で作るように品質のよいものが出来ないという問題にぶつかってしまったのです。その延長線上で、シャープの「世界の亀山モデル」が生まれました。日本人による、日本国内で製造された、日本製品という触れ込みです。
この過程では、円高や、世界的な半導体の不況などと重なっていたため、なぜ、日本の企業が国内に戻ってきたかという理由は、はっきりとは見えていませんでした。評論家の人たちは後付けでいろいろ言いますが、実際に舵を切っている経営の場面では、ほとんどの場合、言い方は悪いですがバクチだったのです。しかし、その一度目のバクチには負けました。
住宅用太陽光発電照明システムを構築する方法を解放する
そして、現在、また企業は海外へ出向こうとしています。リーマン・ショック以降、国内での需要の伸びが頭打ちになることがはっきりしたからです。そして、あれほど便利に使っていた派遣スタッフはもう使えなくなりました。国内での低コスト、高品質生産は終わったのです。景気は、ようやく上向いてきています。というか実は絶好調のところもあります。でも、もう、国内では人を雇わないのです。企業は、海外でもう一度、しっかりした品質のものを、より恒久的な低コスト体制の元で作って行こうと覚悟しています。
グローバリズム=英語ではない
英語が話せるから自分はもうグローバルな人材だ、などと思うのは大間違い! リーマン・ショック以降、にわかに活発化してきた日本企業の海外進出ですが、海外勤務を命じられた方々にとって、どうしても必要になってくるのが言葉の能力です。
1980年代後半、意欲的に海外に生産拠点を移した企業ではグローバル化の掛け声とは裏腹に、実際の現場では「言葉」=社員に対する外国語教育をほとんど重要視していなかったのです。
日本人にとってグローバル化の本格的な波はバブル景気を背景に海外に生産拠点を持っていったこの時期が最初だと私は考えています。当時多くの日本企業、製造業では「日本のやり方を持っていけば、そのまま品質の高いものが作れる」と信じきっていました。
当時は私たちが今でこそ一級のグローバル企業となっているお客様のところで「言葉なんか教えていて食っていけるの?」と言われたり、所長さんが訓辞で「ものづくりはハートさえあれば通じる」と言われていたことを覚えています。
昨今ではまずもって、会社の役割とは何か、会社の方針、経営哲学(カンパニー・ポリシーとか、カンパニー・ミッションとか、カンパニー・フィロソフィーなどと言われます)を確立し、それを現地の人にしっかり教えるようにしています。かつて失敗した「日本のやり方」をそのまま持っていくのではなく、「日本人の仕事に対する考え方」をきちんと言葉にして教えていこうと考える会社が増えました。つまり、グローバル化=海外進出第二の波は、形でなくマインドをしっかり教えようとしているのです。
そして、いま日本企業がいま海外に生産拠点を移している先はどこでしょうか?
そう、BRICSです。Brazil、Russia、India、Chinaに複数を示す語尾「s」がついています。そしてこのBRICSという言葉を作ったのが、奇しくもリーマンと同じような投資会社(ゴールドマン・サックス)だったと聞いたことがあります。
賢明な皆さんはもう気づきましたね。これらの国では英語は話されていません。唯一「India」だけが英語の通じる国です。しかし、インドの英語は皆さんが語学学校で学んでいる英語とはかなり違っています。
これまで日本人の中では、英語はイギリス英語かアメリカ英語がランク的には一番上で、次にカナダ、オーストラリア、ニュージーランドというような暗黙の序列がありました。皆、白人の国です。アングロ・サクソンの国といった方がいいでしょう。しかし、英語は他の国でもしっかり話されてきました。香港、シンガポール、フィリピン、インド(第二公用語、事実上のデファクト・スタンダード=de facto standard)、エチオピア(中学以上で教育言語)などでは公用語か半ば公用語として話されています。
でも私たち日本人は、これらの国の英語を番外編として無視してきました。
- まずは、話している人が白人ではない。
- 次に、これらの国の英語は強いなまりがある。
しかし、もうずいぶん前から、これらの国の人たちは、このなまりそのものを自分たちの民族の特徴を表すためのしるしとして積極的に理解しています。言い換えれば英語を受け入れることと引き換えに、道具として使いこなすために「なまり」を肯定的に捉え、自国文化や民族意識の発露としてしっかり主張しているとも言えるのです。
一方ほとんど唯一日本だけが、自分の話す日本語風の発音や、文法的なエラーのある英語に引け目を持っています。日本人が英語に引かれるとすれば、それは白人文化に対する強い劣等意識と、その裏返しの同民族への優越意識です。そのことが、「白人の話す英語」への憧れと「英語の話せる自分」に対する優越感を形作っているのです。このあたりに日本人の英語嫌いのルーツを探し出すことも出来るでしょう。
英語嫌いの人の中には、自分と間尺の合わないバタ臭い英語カブレを生理的に嫌う人がいます。その気持ちもよくわかります。しかし全体としては、英語を学ぶ態度までもガラパゴス化してしまっている私たちが持つ表と裏の姿に過ぎないのです。
グローバル企業の最前線では、そんな枝葉末節なこだわりは、とうの昔に崩壊しています。あなたは、これからインドへ行って、五年間、駐在しなければならないかもしれません。その後は中国で、その後はブラジルかもしれません。そんな状況で、いったい本場イギリス英語を流暢に話すことにどれほどの意味があるのでしょうか?
英語スーパーマンより、リーズナブルな2ヶ国語
「何のための英語なのか?」を考えれば「英語+1言語」は必然!自分の仕事をきっちりやれば、自国の中だけにとどまらず、他の国と何らかの関わりを持つことになります。それが「国際」です。
実のところ、TOEICなどで言っている、海外で活躍できる英語のレベルなどは時と場合によって、あてになったり、ならなかったりもします。敢えて強調すれば現場主義的にはあてにならないといってもいいほどです。物差しが違うので、TOEICのスコアではなかなか説明がしにくいのですが、敢えてTOEICで話をすると、400点ぐらいで会話は十分出来ます。
TOEICのスコアで400点といえば、TOEICのテストがやっとまともに力を測ってくれるレベルです。それ以下のスコアでは全くあてになりません。しかし、そのレベル以下でも十分仕事に必要な会話はできるのです。私たちは実際にそのようなレベルの人たちに、会話力をつけるお手伝いをしてきました。極端な話をすれば、TOEICがろくに測ってくれない350〜400点台でも十分仕事は出来ます。
TOEICでは400〜500、500〜600、600〜700と英会話のレベルが上がるといわれていますが事実は違います。問題はTOEICのスコアが上がれば上がるほど学習するエネルギー(時間、労力、コスト)を倍々にして投入しなければならないことです。何もそこまでやらなくとも話はできるのに、そういう意味で、ほとんど無駄といってもいいような部分にエネルギーを投入することで、いったい誰が得をするというのでしょうか? TOEIC以外に本当に有用な物差しはないのかな、と穿った見方が出てくるのも、故なしとは言えません。
それでも、私たちは今日もまたイギリス英語、アメリカ英語をはじめとする、白人英語を黙々と学び続け、最近では他の国も発音も意識するようになってきたとはいえ、相変わらずアメリカ英語こてこてのTOEICで、臥薪嘗胆の日々を送っています。それも、ばかにならない時間と、かなり高額のポケットマネーを費やして……。
アメリカ英語という富士山、いや、エベレストの頂上を目指す。でも、山について話したり、山を好きになったり、山の楽しさがわかるようになるためには、エベレストの頂上を目指さなければならないのかということを、冷静に考えてみなければなりません。
最近いくつかの企業が、英語を会社の公用語にするという宣言をして、ネットや新聞紙上で話題になっていますが、中には、海外の拠点に勤務する現地人スタッフのレベルが、英語の他2〜3ヶ国語は話せ、しかも他に様々なスキルがあるなど、日本人スタッフよりも高いため、そうした人たちへのパフォーマンスとして英語のレベルを示そうとしている傾向もあるようです。
こうなると、かわいそうなのはTOEICテストを受けさせられる日本人スタッフです。日本の市場の状況や、海外での売れ行き動向からそうなるのはあり得るとしても、ほとんどの会社がTOEICを基準にしていることは、再考の必要性があるでしょう。
皆さんは、中国語、ポルトガル語、インドの英語を話せるようになるのに、TOEICのようなテストがあると思いますか?
少なくとも中国語はあります。ただし、そんなに昔からあるのではなくこの10年ぐらいででてきたものです。ポルトガル語についてはあるかもしれませんが見たことがありません。インド英語については知りません。ここで大切なことは、TOEIC以外のテストはそれほど知名度がないということです。つまりモノサシとして機能していないということなのです。
ある言語に対してはモノサシが必要ということで、ほとんど信仰のように、そのモノサシの万能性を信じているのに対して、別の言語に対してはモノサシで測ることさえ意識していないという状況は、ずいぶんとおかしな話です。おまけにそのモノサシ機能がチョット首を傾げるものであってみれば、なおさらでしょう。
常に費用対効果を、シビアに考えている企業が、矛盾した判断をしていることになります。
英語学習のコストパフォーマンスを向上させるという発想
大胆なことを言ってしまうと、日本人は英語1ヶ国語にお金を注ぎ込みすぎなのではないでしょうか。
もう少し、別の言い方をすると、英語という一つの言語学習に、費用対効果のあまり期待できない方法で注ぎ込まれるエネルギーの一部を、他に振り向ければ、より効率的な言語能力の向上ができるのではないかということです。例えば、中国語、ポルトガル語、インド英語などへのエネルギーの振り分けです。
こんなことを言うと、英語一ヶ国語だけでも大変なのに、二ヶ国語も……などと考えてしまうかもしれません。しかし、英語一ヶ国語をマスターすることを、一生かかるような大変な仕事にしてしまっているのは、日本人自身なのです。
第一に、ぴかぴかの映画俳優が話すような英語を話せるようになることが理想だと信じてきた私たち自身、
第二に、流暢な英語を話せることこそが国際的に通用する人間だと喧伝してきた英語教育業者、
第三に、もともと英語を話せないスタッフが多く、自らもコンプレックスを持っているためか、日本人の英語学習の悲劇に警鐘を鳴らすことを怠ってきた高等教育の責任者たち、
その三者が、三すくみになって状況をがんじがらめにしてしまっているように感じられてなりません。
こうした状況は、語学サービス業者は皆さんの望む、その時々の流行りものしか提供できないか、追随することしか出来ないということを示していますし、大学をはじめとする高等教育担当者は、もはや、皆さんに英語を勉強する際の正しい道を示すことが出来ないということを証明しています。そこから導かれる結論は、皆さんはそうした人たちをあてにしなくていいということです。
しかし、というよりも、それだからこそ、解決するのは意外にも簡単なのです。学習する側の皆さんが「私はまず話すことが出来るようになろう。最初はものすごく簡単な言葉を使ってでもいい、小さなことは、この際無視して話ができるようになることに集中する」と決心するだけでいいのです。
単にそのように決心することで、この連載を読んでいただいている皆さんの、おそらく七割程度の人が、手持ちの英語の知識を活用するだけで、会話ができるレベルの力を持ててしまうという嬉しい状況になってしまうのです。「そんなうまい話があるのか?」と首を傾げた皆さんにその理由を説明しましょう。
「使える英語=コミュニケーション可能な英語」が求められている。
中・高・大学あるいは専門学校でも学んだのに、自分の英語力に全く自信が持てない方、英会話スクールやさまざまな英会話本、通信教育の教材にも取り組んだのにと期待するほどの成果が得られていないと落ち込んでいる方、TOEICでも高得点、英会話力を身につけるために多くの時間と費用を掛けて来たのに、うまく話せるようにならないとお悩みの方はいませんか?
しかし、実を言うと「あなたはすでに英語が話せる状態にあります」。
こんなことを言うと、皆さんは、「話せないから、困っているんじゃないか」と、おっしゃるかもしれませんが、あなたは英語を話すための準備はすでに出来ています。
本当にそうなのです。
どういうことか、ご説明いたしましょう。
私たちパラカロの語学研修プログラムのなかに「状況説明型練習」というエクササイズがあります。
例えば、皆さんの職場の誰かがタイへ仕事で向かうとします。タイで新しいプロジェクトを立ち上げるために、現地スタッフを事前に教育することがこの人の職務です。これをひとつの「場面」として取り上げます。
ところがこの場面は、当の日本人から見た場合と、受け入れ側のタイ人から見た場合では全く同じではありません。日本人からすれば、新しいプロジェクトのことを全然知らないタイ人にどこからどのように教えていこうかとか、相手のメンバーの人間関係はどうなっているのだろうかとか、さまざまなことが気になることでしょう。
一方でタイ人にとって、あなたはある日突然やってきた日本人であって、何の目的なのか、どうしようとしているのか、自分たちにとってどんな意味があるのかなどを解釈しようとすることでしょう。
「場面」は同じでも、それぞれの立場から異なる解釈が生まれます。この解釈のことを、解釈した人の「状況」と考えます。同じようなことは日本人の間でも起きることでしょう。しかし、文化の異なる人が接触した場合はこの「場面」に対する解釈の差はもっとはっきりと違ってくる可能性があります。時には、そのことだけで問題が生じることさえあるかもしれません。
ポイントは、情報にギャップが生まれるということです。お互いの持っている情報にギャップが生まれたとき、私たちはそれを埋めるためにアクションを起こすことがあります。これがコミュニケーションです。
「状況説明型練習」では、このメカニズムが使われます。
具体的には、教室のメンバーを二つのチームに分けて、それぞれのチームに、ある1つの「場面」について、別々の二つの異なる観点から解釈された「状況」が書かれたカードを渡します。それぞれのチームの持っているカードに書かれた「状況」は解釈の違いによって情報のギャップがあります。ただし、日本語で書かれているので、理解することは完全にできます。
そこで、それぞれのカードに書かれた「状況」についてお互いのチームから順番に代表が出てきて、相手チームに自分のチームの「状況」を英語で伝える練習をします。それぞれのカードには、異なる状況が書かれているため、チーム間には情報のギャップが生まれることになります。
このことと、私たちが英会話スクールで、英語でコミュニケーションすると称して学んでいることを比べてみましょう。そこでは、これまで学んできた、おそらく文法的な知識を、新たに一つ積み上げることを目的とすることが多いようです。
「今日の表現はこれだよ」と言って、新たなフレーズが紹介され、一度みんなで復唱して、それをチョット変えたりして使った後に、それを参加者同士が、お互いに使って練習したりして、さらに小さな会話に組み込むことが出来ればいい方でしょう。
しかし、この場合、ほとんどの生徒の間には情報ギャップはありません。言ってみようと促されているから言っているだけなのです。
反対に「状況説明型練習」でのように、情報ギャップがあるということは、話し手としては何とかして伝えたいという願望の前提があるということです。何かを相手に伝えようとする意思が、ただ単に英文を作るという意志を凌駕すると、自然とエラーが気にならなくなります。これは私たちが日本語で日常的に体験していることです。
また、情報を伝えられる側、すなわち、聞き手側も何とか情報をゲットしようと試みます。つまり、質問をしたり、確認の合図、うなずきや相槌を送り始めるのです。そして、質問をしようとしたとたん、英語での疑問文の必要性が生まれてくるのです。
実は私たちのコミュニケーションはこの情報ギャップを埋めることを第一の目的としています。もし、双方が完全に同じ情報を持っているとしたらコミュニケーションは必要ありません。
私たちの「状況説明型練習」クラスでは、こうしたアクションを実際に起こすのです。実はもっと明確にコミュニケーションが起きるようするためにある仕掛けをします。それは、日本語の状況を記したカードを渡した後、生徒が手元においている辞書だの、コンピューターだの、ワードタンクだのを一切合財取り上げるのです。生徒は一瞬真っ青になります。それというのも、彼らの唯一の頼りは辞書などのツールだからです。しかし、かまうことはありません。有無を言わさず没収です。
そして「皆さんがいま現在持っている英語の知識だけで何とか切り抜けてみてください。……実際の会話をするとき、皆さんは辞書を引いている時間はないはずです。これは最もリアルな会話のシミュレーションです。」と言ってあげます。そうすると、仕方なく、自分の知っている単語から会話を組み立て始めます。
実際にやってみると、もはや英語の間違いなどはどうでもよくなってしまうのです。なぜなら、コミュニケーションすることで生まれるシナジー効果の方が、決まりきった英語のフレーズを正しく言うことの何千倍も刺激的だからです。
冒頭で申しました「実は、あなたはすでに話せる状態にあります」とは、こういうことなのです。
「状況説明型練習」を通して、その参加者は、実際に自分の頭の中には話す準備がほぼ出来ていることを実感するのです。後は、効率的な練習が出来るように保障された環境で、密度の濃い練習をするだけです。
「そう言われても、私の場合は、自分がきちんと準備が出来ているとは確信できない」という皆さんのために、私どもでは、スタートするためのパッケージを考えています。
多言語教育を可能にするパラカロ・メソッド
「使える英語」重視は、ビジネスの現場で悪戦苦闘している皆さんのニーズに応えるために生まれてきたメソッドです。私たちはTOEICなどのテストが巷に流布する以前から、このメソッドをもとに、セミナーを行い、教材の開発、サービスの提供に取り組んできました。あくまでも現場にこだわり、皆さんが悩んでいらっしゃることをフィードバックしていく中で、生まれてきたメソッドなのです。以下で、もう少し詳しく説明させていただきます。
私たちは、まず、徹底して話す力としての発信力をつけることにこだわってきました。TOEICで言うところの後半部分(Part5〜7)の問題はとりあえず不必要です。なぜなら、その部分の問題は特に読む力を見るからです。海外進出企業の現場では、実際TOEICの必要到達点よりもはるかに低いレベルでも話が出来、仕事も十分に回せています。問題は、発信力をいかに効率的に強化するかということです。
ということは、英語の学習にこれまでと同様のコストをつぎ込む必要はないということになります。さらには、短期間に力をつけたら、余分のエネルギーで他の言語について学習するチャンスも生まれるということです。これは、実際、現在の日本の企業が求められているグローバル化の方向とピッタリ重なります。
パラカロのメソッドは、現場のニーズをフィードバックし、以下の点を工夫していきました。言うまでもなく、その工夫は「誰でもが、多言語での会話力を身につけることが出来るようになる」を基本にしています。
A. 会話力をつけるためだけに必要な最低限の文法項目に絞り込む。
私たちは、語学学習の聖域である「文法」そのものを疑い、もっとわかりやすい説明の方法を探し出しました。
B. 学校の授業とは違う、最も効率的な学習の順序を見つける。
文法が、砂を噛むようにつまらないものでなく、学んでいくうちに自分の中に納得とやる気が起きてくるような学習の順序に配列しなおしました。
C. どの言語であっても、同じ仕方でできる学習法をつくる。
英語だけに終わるのではなく、今後必ずやってくる多言語の世界を先読みして、学習の手順を統一しました。
D. 忙しいビジネスマンが、いつでも、どこでもできる学習法でなければならない。
A〜Cの研究成果を「e−ラーニング」という形にまとめることで、いつでも、どこでも、たとえ国境を越えた世界の果てでも、ネットにつながってさえいれば学習できる環境として準備しました。
E. 「自腹を切ってもいい」と思える学習コストでなければならない。
いくらよい教材でも、高額であっては多くの人に使ってもらえません。私たちは"リーズナブル"という言葉が本来持つ意味を実現するような価格で提供できるように工夫しました。
私たちは、A〜Eの条件を満たす「e−ラーニング」を作り出し、前回予告しました「そう言われても、私の場合は、自分がきちんと準備が出来ているとは確信できない」という皆さんが、言語の学習をスタートするためのパッケージを完成させようと考えたのです。
私たちが提供する本来のサービスの形は先生が教室に赴いて、生徒と対面でクラスをするという形です。しかしながら、この学習形態に私たちの独自のノウハウで開発した「e−ラーニング」を付加することで、大きな変化が生まれつつあります。実際にこの方法を導入してから私たちのサービスを採用してくださるお客様は大きく増えてきています。
現在「e−ラーニング」は、《e−Hyper》という名称で、パラカロのお客様である企業を対象にサービスを提供しています。従いまして、一般の方々を対象としたサービスは現在のところスタートの準備段階にあります。近い将来デモ・サイトを開設していく計画がありますので、是非体験していただければと思っています。
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