【総集編】語学嫌い、中高年を海外で確実に戦力化するための「使える英語、話す外国語」習得術
この連載もおかげさまで一周年を迎えました。毎週日曜日更新でお届けしておりますが、東日本を襲った未曾有の大震災、福島原発の事故、海外でもタイの大洪水など日本国内の製造業をめぐる事業環境も大きく変わってきたことを日々実感しています。
東日本大震災で揺らいだ日本企業は国内インフラへの不安から海外へのシフトを一層加速するという流れが出てきています。またタイにおける災害によって日本企業が今後出ていく先でも安心してはいられないということへの気付きを与えました。日本企業が進出している国々の現場、工場などの最前線では混迷の様相を深めてきています。
洪水の問題ひとつをとってみても、タイという一国の問題では終わりません。グローバル化する製造業をめぐる事業環境を俯瞰するとタイで起こった大洪水の影響は日本国内だけでなく、中国、韓国、台湾、インドネシア、ベトナム、フィリピン…、東アジア全体の製造業にもあらわれています。
文字通り激動の2011年でした。
そんななか海外移転を進める日本の製造業にお勤めの皆さんに企業語学研修を通じ、海外の工場や事務所、つまり現場=最前線で即戦力として役立つ人材を送り出してきたかを改めてお話しすることにしましょう。50歳を過ぎてからの海外転勤、海外渡航経験無しでの単身赴任、外国語を学ぶのは35年ぶりなど、そんな中高年の試練や筋金入りの語学嫌い企業戦士たちの戦力化をどうやって支えてきたか?
もちろん、魔法を使うわけではありません。パラカロ・メソッドの基本、それはシンプルに、いまから申し上げる三つの考え方です。まずは英語を話すために必要な三つのルールからご紹介してまいります。
1.話すという目標を、ぐっと下げて、しかも明確に目標を設定する。
英語嫌いでなくても、文法や語法の正確さを追い求めるあまり、間違いを恐れ、萎縮し、マイナス思考に陥りやすいものです。まずは額や脇の下にびっしょり汗をかきながらでもいいから、自分の言いたいことを何とか伝えられるレベルを目指します。今日から正確さや流暢に話す理想の自分をイメージすることに「さよなら」を言いましょう。
語学研修の現場では、愛すべき英語嫌いの皆さん、それぞれのレベルに応じて、より明確に、実際に話しているイメージ(姿)を描いて差し上げます。ここが、私たちにとって最も気を配り、注力する点です。
何しろ海外の事業所や工場の現場ではとりあえず仕事は回っているのですから、無理やり背伸びする必要はありません。できた分だけ、伝えられた分だけ、その日の喜びとする。
単語10個覚えたらそれでよしとする。中には、「10個覚えたら、次の日は9個忘れるよー」と言ってくる人もいました。でも、次の日、また10個覚えればいいのです。あきらめなければ大丈夫と自分を許す。
2.話すために必要な最低限のルールは何かを洗い出す。
昔、学校のテストで苦労して、複数の"s"とか、"a"や"the"をいつ使うとか、いわゆる冠詞の使い分けに気を配っていたことは、全て無視。私たちパラカロでは上記1.で述べた受講生の皆さん、それぞれのレベルに合った目標に到達するための最低限必要な文法が何で、不必要な文法が何かを精選しています。これも私たちが教えるときに留意する点です。意味の通じる文を作るためのルールであれば、巷で売っているあの読みにくい文法の本の五分の一で大丈夫。しかも、間違っていても、減点なし。口に出して英語を話した分だけ、得点とする。こんな考え方を身につけることからスタートします。
3.限られた時間の中で、話すための練習時間を最大化して、徹底して練習する。
これまで、テストで1点でも多く取ろうと重箱の隅をつつくような文法を覚えるために使ってきたエネルギーを、ひたすら「話す」ということに向ける。これまで、受験勉強や資格試験用の勉強を通し、知識として得ていたことも、実際の場面ではほとんど使えないことを知ることになるでしょう。
「ここまで出て来ているんだけれども、口から出てこない」という言い訳は、無意味だということを納得する。わかっているけどできないのは、ゴルフのヘッドアップやスライス癖、もっと簡単な例で言えば、早口言葉を噛まずに話す訓練と同じことなのです。
集中と反復練習、上手くいかないのは単純に練習が足りないだけ。ここは実際に練習をする方々の努力(=反復練習の量)にかかっています。一方、質の高い正しい練習の仕方と練習のためのツールを作り提供する、これは教える立場の人間が最も努力すべきところです。
英語を話せるようになるために必要なルールはこの三つです。しかし実際、こんな突拍子もない方針で英語ができるようになって、実際に海外で活躍している人たちが大勢います。
大文字と小文字の区別がつかなかった山之内さん
まず英語に関しては、「ズブの素人」が、どうやって英語を話せるようになっていったかというケースをご紹介します。
主人公は、山之内さん。山之内さんの勤務する会社では、いまでも語り草になっている、私たちパラカロが協力した研修から話は始まります。
その研修は、当時としては異例の半年間離職しての受講という、徹底したものでした。研修の内容は、周辺領域の技術研修と、私がデザインした異文化研修、それに語学研修という三本柱で構成されたものでした。
山之内さんは、この研修の何期目かに来た人です。最初のクラスでは自分の名前をローマ字で書いてもらいました。綴りが正しくない……のはありだと思っていたのですが、ご自身の名前をローマ字で書いてみるとそのなかに大文字と小文字が入り混じっています。綴り云々の前に、ローマ字を知らないのです。
同じクラスに大学卒の岩城氏がいました。すでに英語の文法は上級の域にある人でしたが、職位が同じということで机を並べていたのです。「企業研修、恐るべし!」です。会社の論理優先で、少々のことは語学研修を受け持った業者がうまく丸めて結果を出さなければなりません。
ところが、「少々のこと」というのは常にお客様=クライアントの基準であり、語学研修という仕事を受託した私たちにとっては、いくら何でも「それはご無理というものでございます」というケースがほとんどです。上意下達とでも申しましょうか、この論理は会社内でも貫かれています。当然山之内氏も、「え、英語! それは無理というものでございます」という叫びを胸のうちに秘めて参加してきていることが私たちにも痛いほど分かりました。
山之内氏の唯一の武器は、底抜けな笑顔と、こちらが言ったとおりに繰り返すことだけでした。別の言い方をすれば、それしか出来なかったということです。
最初の3週間は集中研修といって、毎日、午前中4時間、英語のイロハをやっていきます。説明を1、2時間やった後、こちらの渡した独学教材を使って、実際に声を出して練習します。ここで、独学の仕方をきっちり学ぶのです。窓際で、ひたすら声を出して練習していた山之内さんの姿が記憶に残っています。
半年のうちの中間点では1週間の合宿が行われます。英語漬けの研修ですが、竹刀でたたいたりするようなことはありません。それでも、中にはとにかく英語が嫌いで、夜中に脱走して家に帰って、次の朝チャッカリと出てくるような人もいます。
その中で山之内さんは、明るさだけは絶やさずに、言われたことだけはちゃんとやっていました。たまに自分が習い覚えた単純な文をギャグのように、あるいはオームのように言って周りの笑いを取っていたように記憶しています。
ところが研修も後半戦に入り始めた頃、彼の言うギャグのような文が2つ、3つとつながり始めたのです。周りの仲間や、はるかに先を行っていた岩城氏が、何故山之内氏が急に浮上してきたのかを不思議そうに注目をしだしたのもこの頃のことです。というのも、岩城氏の英語の伸びはいまいちで、最初の頃と比較してあまり変化が見られなかったからです。きっと、ご自身そのことに気づいていたのでしょう。
最後の合宿は5ヶ月目の半ばに行われました。ここでは1日の終わりは、英語だけでの反省会です。いくら虎の巻が準備されているとはいえ、誰だって反省会を仕切る役であるチェアマンにはなりたくない。せめてもの配慮にと私は山之内さんのチェアマンの順番を最後にしたのでした。
そしていよいよその日がやってきました。山之内さんは、チェアマンの席に座り、突然大きな声で、ただし、あきれるほど単純な文をつなげて、チェアマン役を誰よりも器用にこなしたのでした。
山之内氏がやったことはなんだったのでしょう。
事実1 素直に英語を口から出して練習し続けた。
事実2 受験英語の複雑な文法に足を絡めとられなかった。
それに対して、大学卒の岩城氏は自分の豊富な文法の知識で、自分の英語をチェックしまくり、口から出す機会が極端に少なくなっていたのでした。黙読中心の学習スタイルになっていました。
事実3 生来の明るい性格で、間違いを全く気にしなかった。
自分の英語を他の人と比べたりして恥ずかしいと思わなかったようです。恥ずかしいと感じたり、間違えたらどうしようと考えたりするほど英文法を知らなかったことも幸いでした。
このことから、
教訓1 英語を話すために必要な文法は、厳選されたごくごく一部の文法を理解すれば意思疎通は十分可能。
ということが解ります。
さて、皆さんも、少し気が楽になってきたのではないでしょうか。次は山之内さんの上を行く、板倉さんのお話です。
「a・an・the」の使い方がわからなくても成功した板倉氏
「…で、向こうじゃイタリア語ですか?」と私。
「チョットはですね。困ったときは英語にしますよ。」と板倉さん。
いまでは、すっかりベテランの風格が漂うイタリア駐在の板倉さんですが、最初に英語を教えたとき、あまりにも初歩的な質問をぶつけてきたことが強く印象に残っています。
「a・an・the の使い分けが…いまいち良く分からないんですが……」
私は少々乱暴ではありますが、こんなふうに答えました。
「a・an・the」をなくした文と、逆に「a・an・the」 だけしっかり残って、他が欠けた文を比べてみてください。「a・an・the」を全く言わなくても、いちおう意味はわかるでしょう。
そのまま、外国人に話したとしても、意味はわかるんです。でも「a・an・the」だけだったら、何回繰り返して言っても相手に意味は伝わらない。そんなのなくても意味は通じるということをしっかり覚えてください。
そのときのことを思い出しながら、板倉さんは、こう言います。
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